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介護なび 那覇と浦添

世に住む日々を問う・・

知恵なき愛は、人を生かさない

知恵なき愛は、人を生かさない

『凡事徹底と静寂の時間』
――現代における“禅的生活”のすすめ/大川隆法(著)より抜粋
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人生における生き方ということに関し、たとえ話があります。

あるとき、親切な老人がいて、渡り鳥になって飛んできた野生の鴨に餌付けをしていたらしいのです。

彼は一応、健康な食料を与えていたのですが、餌をくれるものだから、野鴨は、「寒くなったら、南に飛んでいかなくてはならない」という習性を忘れるようになりました。

そして、その場から飛んで行かなくなってきました。みんな太ってきて、飛べなくなってしまったらしいのです。

そしてある日、その親切な老人が、コロッと亡くなってしまいました。。。それは大変です。

太った野鴨たちは、空を飛べなくなってたのです。「さあ、困った、どうした」ということです。彼らはもう、渡り鳥の習性を失ってしまったのですね。

そして、野鴨は死んでしまったというのです。

これは、キルケゴール (1813~56年デンマークの哲学者。現代実存哲学の創始者)という哲学者が語ったたとえ話。彼は、生きていたときは無名にたかったのですが、ドイツのハイデガー (1889~1976ドイツの哲学者。20世紀最大の哲学者の一人) という哲学者が、有名にした人です。つまり、この野鴨の話は、いわゆる 「実存主義」 という哲学の始まりを意味するところです。


IBMという大きな会社をつくった人の息子である、トーマス・ワトソン・ジュニアという人が、IBMの精神のなかで、「このような野鴨になるな」と話しています。

要するに、「人が餌をくれるからといって、それを食べていたら、そのうちだんだん野生味を失って、飛んでいけなくなるようでは駄目だ」ということを、IBMの人材に関する考え方として説いているのです。


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考察)
愛とは、相手の欲するものを与えるものではあるが、実存主義的な知恵をもってすれば、その与える愛が、相手を生かすことなく終わることもあると言える。 いや、もっと厳しく言えば、その与える行為が相手を堕落させることだってある話だ。。

知恵なき愛は、人を生かさないもの・・ということだろう。心身の健康な人間なら、自分に厳しくなければならない!
一日を無駄に過ごすことなく精進せねばならない。「ハングリー精神を失った、野鴨になるな」と・・自分に言い聞かせて。


 
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浦添市民。趣味は読書、考え伝えること。妻子4人家族。
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