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幸福論(4) キリストの救い



キリスト教における幸福とはどのようなものなのか、私の理解範囲で述べてみます。

はじめに私のキリスト教観は、作家の三浦愛子や遠藤周作の解説書小説や、名書「代表的日本人」内村鑑三が書き残した読書体験に依るところが大きいこと。
先にお伝えします。

私が感じます、キリスト教の教えの中心は絶対の神を信じており、キリストへの愛、そして信仰から生まれる聖なる力、恵みですね。神を父と呼び、キリストを子と呼び、聖なる力を精霊と感じる、''三位一体''という信仰論にあると思います。

また父は唯一神です。始まりの神、創造主ですので他に神は無いのだ、一神教とも呼びますが、天なる父なる神は一人だけなのです。ですから、他の神々は認めないのでキリスト教国が戦争も多いのも、頷けます。

この三位一体論が日本人の多くが、理解しきれていない。信じられない内容だと考えますが、世界宗教キリスト教では、これが当たりまえなのです。

次にキリスト教における人間観ですが、以外と思われるかもしれません。人間の本質は悪だとする性悪説をとってます。その理由は人類創造の神話''創世記''に基づきます。

神は始め、エデンの地に人間を創造します。二人の男女はアダムとイブと呼びます。二人はいろいろあって、悪魔の惑わしにあい神との約束を破ってしまいます。
罪の始まりです。

その犯した過ちから始まった罪を、人類子孫はその罪を継承していると考えてます。これを原罪と呼びます。ですからキリスト教は実は性悪説なんです。

それ故、人間は罪なる性質、悪なる性質を持つ存在だから、神はそれを救い、許すために地上に救い主であるイエスキリストを送ったのだと考えます。

神の子であるイエスキリストが、人類の罪を贖い、許すために十字架に掛かり、その身体と命を捧げたのだとしています。

ですからキリストが十字架で死んだことは悲しいことですが、これは人類の罪を許す為なのだ、愛ゆえなんだと、、そうキリスト教は解釈しているのです。

しかし、この十字架による許しは、当然のことながら、キリスト教徒になり信じることが条件です。これまで生きて犯した罪と悪を見つめ、神に許しを請い、信仰の誓いを立てます。

神への愛と、神への祈りを通し許されるわけです。そこから生まれてくるのは、罪悪感や死後の怖れからの解放だろうと思います。

人間はみな罪人であるが、神に懺悔し、キリストを信じ、神を愛する者なら天国へ行くことが約束される。この信仰による幸福原理により、キリスト教は世界に広がります。

キリスト教における最大の幸福は、神による許しと、キリストから愛されていることにつきます。

以上が、キリスト教における幸福論です。

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