幸福論(6) 障がいを乗り越えて
幼きヘレンケラーとサリバン先生
人は身体に不自由なく生まれる方もいれば、障がいを持ち生まれる方もいますし、人生の途上で障がい者となる方もいる。
障がい者は、様々なハンディーを持ちながも日々を懸命に生きており、障がいを受け入れ前を向いて生きる姿は、人生の教師だと思える。
私はハンディーを持ちながも、人生に希望を抱き過ごす人々と関わって分かったことは、人間の適応力の凄さと、それを支える家族の強さと優しさだ。
私は人間の本質は魂であり、身体は仮の姿だと信じる。障がいという身体は仮の姿だと仮定すると、障がいに対して新たな認識や、理解が浮かび上がってくる。
それは、例え身体は障がいがあったにせよ、魂は自由自在であり、例え言葉が話せなくても、聞こえてなくとも、魂の中では考え、学び、多くを感じるているという認識だ。
これは、世界的巨人霊能者であり、神秘主義思想家であるスウェーデンボルクも語っており、その他の文献でも、この種の考えて方を知る人は多い。
人間は永遠の旅人だとすれば、一度の人生で障がい者と生きることも、それが人生計画でありなんらかの目的があるとするなら、障がいを悲観することないのだ。
与えられた環境のなかで、いかにプラスを生み出してゆけるのか。障がいを乗り越えて人生を過ごすことが出来るなら、どれだけ多くの人々に勇気と、愛を与えることだろう。
私はハンディーある人々を支え、共に生きる幸せを、これからも続けていきたい。